流転工房

シンギュラリティをこの目に

『高学歴ワーキングプア』 学業成就と、「先生」方の食い扶持確保と。



「だからこそ、喜べなくなったのです。

私たち若手のほとんどは、現在、どれほど努力しても半分はフリーターにならざるを得ません。

ですが、私たちをはねつける立場の方々のなかには、排除される私たちよりもなぜか業績が少ないという先生方も少なくないのです」


マスターキートンの東都大学編を思わせる哀しい言葉。

学問の面白さにはまった人ほど辛いのだろうなぁ。。

18歳人口激減の先に、学校という枠はどう変わっていくのか、、って全国の自動車免許教習所と同じようなものか。。


本書では、ポスドクがコンビニ店員をこなしつつ、専任教授のポストが空くのを待っている様子が寒々と書かれる、、なってしまえばリストラなどない世界というけど、その土台はすでに揺らぎに揺らいでいる。

昨今だと、就職対策をアピールする大学が多いけど、新聞を読むと受験勉強に有利という広告に通じるものがある。。

どこにでもある既得権の確保のためのえげつなさ。

そこにあるものを望むなら迎合する道もあり、戦う道もあり、去りゆく道もありと。

正社員「側」で、サラリージャンキー9年目の日々。

ロスジェネ世代とはいえ、停滞によどむ今の厳しさはキツイものがある、、こんな時流だからこそ、アンテナと腕を磨くことは怠れない。