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シンギュラリティをこの目に

【PM】ローマ人の物語 終わりの始まり(塩野七生)に盛者必衰の影を見る。 #gigofront

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いわゆる五賢帝時代を五にとどめた皇帝の話。

当時の厭戦世論に突如、停戦へ方針変換した皇帝コンモドゥスへの著者の評価は厳しい。。歴史の評価も「暴虐帝」。

苦しい時の打開策には、周囲の心理に傷をできるだけつけずにということか。


ドナウ河問題が表面化した段階で、この問題の本質がどこにあるかをいち早く認識し、その解決には何と何の方策があり、これらの方策のうちで、当時のローマの力で実現可能なものは何かを見極める。

そしてこの後ではじめて全力を投入し、事態の早期打開を達成するのが、最高責任者ならば採るべき戦略であり政略であった。

事態の解決を長引かせることは、それ自体ですでに「悪」なのである。

はじめのうちならば小規模な対策で解決できたかもしれない問題も、長引けば長引くほど、解決に要する時間も軍費も増大せざるを得ない。

しかし、これらのことよりも深刻で後を引く弊害は、当事者であろうと非当事者であろうと関係なく生じてくる、自信の喪失であった。

余裕が持てなくなると人は、その回復に努力するよりも、別のだれかを犠牲にすることで気を晴らそうとする。

このような人心の動向までも考慮に入れた上で政策を決定するが故に、最高責任者なのである。

また、万事が好調に進んでいる時代には、必要不可欠ではなくても、状況の打開が求められた時にこそ不可欠になるのも、トップなのであった。

「ミリタリー」は戦争のプロなので、始めた以上は最後までいく戦いでないと、もともとからしてはじめないのだ。

意外にも「シビリアン」のほうが、戦争のプロでないだけに、世論に押されて戦争をはじめてしまったり、世論の批判に抗しきれずに中途半端で終戦にしてしまう、というようなことをやりがちなのである。

つまり、後を引くという戦争のもつ最大の悪への理解が、シビリアンの多くには充分ではないのだ。