流転工房

シンギュラリティをこの目に

6年前から悪化しかなかったか、、校内暴力の現場。

6年前の更新から、、自分とは思えない真面目な文。

なんというか、もはやシステム的欠陥の域に堕ちたのかな、、学校というものは。
6年たって警察機構の介入まで悪化している学校は教育の場としては厳しすぎる。。いまだ親ではないけれど、日本で育てない道も調べてみたくなるな。


現場は激化・陰湿化しているようですね。。
「校内」という特殊な閉鎖社会は、構成する人間たちによって様々な色を見せ、ときにはキチガイじみた情勢を作り出すのは、自分が学生の頃から変わらないと思いますが、、残念ながらこうなっては自浄作用や教育のあり方等の考えを実現するのは難しいと思います。(まぁ「卒業」というシステムが自浄かな)

恐れるべきは、たとえば我が子の通う学校がこうした情勢に包まれたとき。
どう考えても、子供の将来によい環境ではありません。昔のように「やられたらやりかえせ」のようなシンプルな構図でもないでしょうし。。

そこで三遷の教えをあげたいと思います。
かの孟子の母は、わが子の環境に応じて三度住処を変えていったとか。葬儀屋の近所に住んでいたとき、孟子の葬式ごっこに憂えた時が一度目、、市場の近所に越したとき、孟子が商売の真似事をはじめたのを憂えたのが二回目、、三度目に塾の近所に越したとき、孟子が学問を真似したとき初めて母として安心したとか。。孟母三遷として歴史に残った親心です。

いじめが常態化した校内社会は、もはや教育の場として確実に死んでいます。
悪質ないじめに対する罰則やシステムの改革等は議論・実施されるべきですが、何かが変わる頃には子の卒業は間近でしょう、、それでは遅すぎます。

親としてなすべきこと、そのひとつはしっかりとした教育の場を与えること。
三遷の教えは、子の在り方にすばらしい責任をもった母の心を伝えているひとつの例かと思います。

さらに付け加えると教育現場の把握を確実に行うことが必須。子や「教師」の報告はまったく当てにならないでしょう(子は隠すし、「教師」は虚言を用いる可能性あり)。第三者視点の客観的な情報収集(探偵に報告させるとか)を行うことは、「親」として「閉鎖社会の歪み」への対策かもしれません。

つまりは子を悪しき環境から逃がせということです。中・高という時期だから苦労するでしょうが、、
独身貴族ながら、自分が親というイフを考えてみました。。

校内いじめと三遷の教え